大阪府文化財センター

伯太藩陣屋跡・信太千塚古墳群(和泉市伯太町4丁目ほか)

平成26年6月 4日UP


 都市計画道路建設工事に伴う発掘調査で、近世の伯太藩陣屋跡関連の遺構や遺物のほか、墳丘が削平された小方墳を2基検出しました。
 古墳は双方ともその一部が確認されたのみで、全体形を知ることはできないものの、周溝内からは細片化した埴輪片が出土しました。 埴輪の特徴は有黒斑で1次調整のタテハケを主とし、三角形様の透かし穴を穿つというもので、古墳時代中期(およそ5世紀前半頃)のものと考えられます。 北東側に位置する丸笠山古墳との関係において興味深い資料となりました。

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大県郡条里遺跡

平成26年2月17日UP


 柏原市大県郡条里遺跡では、平成23・24年度の調査に引き続き、新たに12-1区の発掘調査が始まりました。
 大阪府立八尾翠翔高校のすぐ南側に設定した12-1-1区では、古代~中世の耕作土の下から、縄文時代晩期(約2,500年前)の集落が発見されました。  平行にのびる溝がいくつも重なることから、比較的長い間、集落が営まれたと考えられます。遺構内からは、土器のほか、石鏃や叩き石もみつかりました。

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2-1-1区 縄文時代晩期遺構面全景


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大坂城跡4

平成26年1月31日UP


 調査区は大坂城三の丸が築城された場所にあたります。画面奥に見えるのが現在の大坂城本丸です。調査地の北半部(写真左側)には台地が、南半部(写真右側)には東西方向に開析谷がはしっています。豊臣後期(三の丸築造以降、大坂夏の陣直前)の遺構面は谷部底部で礎石建物の一部や井戸、炉跡などを検出しました。
 平成25年11月23日に現地公開を行いました。なお、現地公開資料については当HP「資料・データー」欄に掲載しています。(平成25年11月25日)

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大坂城跡4


 当該面は西に向かって開口する開析谷の斜面部および裾部にあたります(写真の手前の右側約1/3)。豊臣後期(三の丸建造以降、大坂夏の陣直前)の遺構面を掘り下げて検出した豊臣前期(豊臣大坂城築造以降、三の丸築造直前)の遺構面です。調査区の西半分(写真手前)は水溜の機能を有すると考えられる土坑や溝などがみつかりました。中央部では硬く締まった整地層が複数枚ありましたが、建物等は確認できませんでした。調査区東半部(写真奥)では側面を板で押さえた溝や井戸などが見つかりました。(平成25年12月 9日)

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